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Aloha Features : NaHale

Volume.02 /

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【今回の訪問人】
バニース パウアヒ ビショップ ミュージアム
ジャパニーズ ツアーコーディネーター
植田 亜矢

「ハワイ文化」と「自然」のつながりの深さを知ったとき
その価値観を追求することに人生をかけたいと思いました

■ 仕事と介護に明け暮れながらもハワイへの憧れは募る

 

 静岡県で3人姉妹の末っ子として生まれました。横浜の短大卒業後、静岡に戻って就職。洋書の輸入小売会社に勤めましたが、25歳の時に母が体調を崩したため退職し、看病をしながら家業を手伝いました。数年後、母の具合が回復したので、29歳でオーディオ機器の輸入卸売会社に再就職。ハワイへの興味が湧いたのはこの頃です。

 当時、仕事中に流していたラジオから聴こえるハワイアンミュージックに惹かれ、まずはウクレレを買って練習するところからスタート。そして35歳の時、NHK BSで放送された4夜連続のハワイトレッキング紀行という番組で、ハワイ文化について紹介されているのを観た時、「私の人生に必要なのはこれだ!」と感じたのです。

 2003年、37歳で念願のハワイ旅行が実現。実際に訪れたハワイは期待を裏切らない素晴らしさで、私はさらにハワイについて深く学びたいと思い、ハワイの歴史や伝説の本を読むようになりました。

 2000年に父が体調を崩し、さらに04年、母の病気が再発。私は派遣社員となり、仕事と家事、両親の介護に明け暮れる毎日でした。自由な時間は姉が両親を看てくれる木曜の夜だけ。ウクレレの先生のお宅でウクレレを練習した後、フラの先生や仲間も集まって踊り、食事を持ち寄ってパーティー。時には深夜までハワイの音楽やフラについて語り合うことも。両親の病状や自分の将来に大変な不安を感じていた中、ハワイと触れ合う時間が私を癒やしてくれました。

 私の人生に大きな変化が起きたのは40歳の時。父が6月、母が7月に相次いで亡くなり、すっかり傷心した私は、大好きなフラやハワイの音楽に触れることもできませんでした。その後、結婚を考えていたボーイフレンドとも諸事情により別れ…、人生が白紙に戻ったような気持ちでした。この先、私に何ができるのだろうと考えた時に思い浮かんだのは“ハワイ”でした。

 

私を支え続けてくれたハワイ文化に私が恩返しをする番


 

 

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Profile

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植田 亜矢 / Aya Ueda

静岡県富士市出身。県立富士高校卒業後、フェリス女学院短期大学家政学科へ進学。卒業後、静岡へ戻り、洋書の輸入小売会社に就職。25歳で母の看病のため一度退職した後、オーディオ機器の輸入卸売企業に勤める。この頃ラジオを通してハワイ文化と出逢う。8年間勤めた後、両親の看病のため退職。派遣社員として働きながら介護に励む。2008年、ハワイへ渡り、カピオラニ・コミュニティ・カレッジ入学。リベラルアーツ(一般教養)を専攻。11年、ハワイ大学へ編入し、ハワイアンスタディーズとランゲージの2学科を専攻。14年5月卒業。卒業前の1月より4ヵ月間、ビショップ ミュージアムにてインターンを経験、館内の日本語ツアーデビューを果たす。卒業後、ビショップ ミュージアムでのOPTを経て、15年9月よりジャパニーズツアーコーディネーターとして正式に就職。博物館の日本語プログラムやツアーの企画実施を行う。所属するハラウがコミュニティのために行うイベントに、フラダンサーとしても参加している。

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